東京オリンピックの新競技、サーフィン男子で23歳の五十嵐カノア選手が銀メダルを獲得しました。

五十嵐カノア選手はアメリカ・カリフォルニア州で生まれ育った23歳。
名前の「カノア」はハワイの地元のことばで「自由」という意味です。

五十嵐選手は3歳からサーフィンを始め、アメリカのジュニアの大会で優勝を重ねるなど力をつけて、18歳のときから世界のトップ選手が出場する世界最高峰のツアー大会「チャンピオンシップツアー」に参戦しています。

スピードと力強さを兼ね備えた華麗なサーフィンが持ち味で、おととし5月にインドネシアで行われた「チャンピオンシップツアー」の大会では、日本選手として初優勝を果たし、年間ランキングで6位に入りました。

世界トップレベルの実力と実績を積み重ね、日本代表として東京オリンピックに臨みました。
五十嵐選手は初戦の第1ラウンドから、高さが低い波でも的確に捉え高得点をマークするなど世界レベルの実力を発揮し、勝ち上がりました。

準決勝では、「チャンピオンシップツアー」でランキング1位のブラジルの選手と対戦。
中盤まで大きくリードされましたが、残り時間10分をきったところで大技を決めて大逆転し、勝負強さも見せました。

決勝の対戦相手もブラジルの選手で、「チャンピオンシップツアー」でランキング2位。
準決勝と同じ展開で、大きくリードをされたまま終盤となり、いい波を待ち続けましたが、華麗な技は決められず、目標の金メダルにあと一歩、届きませんでした。
「みんなの応援で力もらい銀メダルとれうれしい」
五十嵐選手は「みんなの応援で力をもらって銀メダルをとれたことはうれしい」と話していました。

一方、決勝で敗れたことについて「技が決められるような波に乗っていなかった。準備ができていても波に乗らなければ点数が出ない。自分自身にチャンスを与えられなかったことが悔しい」と振り返りました。

そのうえで「結果は目標に近いけど目標としていたものではない。決勝まできたので金メダルがとりたかった」と、ことばをつまらせながら話していました。

五十嵐選手は競技が終わってからおよそ2時間後に会場にある記者会見室で会見に臨み、「サーフィンがオリンピックの競技として初めて行われた歴史的な3日間だ。そこでメダルを獲得したことは一生忘れない」と話しました。

そして、「日本では野球やサッカーが人気スポーツだけど、いつかサーフィンを一番人気があるスポーツにしたい。そのための歩みを進められた」と話していました。
祖母「きょう命日 天国のおじいちゃんも喜ぶ」
五十嵐選手の祖母の内野ユキ江さん(85)は、27日、会場近くのホテルにあるモニターで決勝の様子を見守りました。

内野さんは「いつも、おばあちゃんおばあちゃんと頼ってくれた孫です。きょうが命日の天国のおじいちゃんも喜んでいると思います。カノアくん、オリンピックを見せてくれてありがとう。これからもまだまだ頑張ってもらいたいです」と涙ぐみながら話していました。
会場の千葉 一宮町からもメダル獲得に喜びの声
競技会場を誘致し、サーフィンを生かしたまちづくりに取り組んできた千葉県一宮町の地元のサーファーなどからは、五十嵐選手と都筑選手のメダル獲得に喜びの声が聞かれました。

このうち、銀メダルを獲得した五十嵐カノア選手と交流のある、地元のサーフィン業組合の組合長、鵜沢清永さんは「初めてサーフィンがスポーツとして認められたこのオリンピックで日本の選手が活躍したことは、全国的にも、地元の一宮町にも大きな影響があると思います。カノアは波に乗れれば勝てる選手だが、決勝の時間帯は満ち潮で、乗りにくい波が多く運に恵まれなかったと思う。悔しい気持ちもあると思うがお疲れ様、ありがとうと伝えたい」と話していました。

会場の近くでライブ配信で決勝を見ていた17歳の女性は「五十嵐選手が最後まで諦めずに何度も波に乗る姿を見て涙が出そうになりました。女子の都築選手がメダルを獲得したのもすごいと思います。これまでは見るだけでしたが自分もサーフィンを始めたいと思いました」と興奮した様子で話していました。

引用:NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210727/k10013163201000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_003&movie=true

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